お守り達の狂想曲
16弾の曼聖羅お守りが出た時から好きで、当時は何が他の弾と違うのか全く言語化できなかったのだけど、今改めてぼんやりとながら形にできそうなので語ってみる。
たとえば、他の弾のお守り達はその使命とかが明確で、役に立たなきゃという気負いとか、役に立たないという負い目とか、あるいは役に立てない諦めからの開き直りみたいなものを感じるのだけれども、16弾お守り達はそういう使命みたいなものから基本的に自由で「自分は自分」という立ち方が出来ている気が、見ていてするのだな。
強かろうが弱かろうが自分で生きればいい、悪魔に立ち向かうのも自分の意志、曼聖羅天使に課された枷を自力ではね除けたお守り(帯衝刻!)さえいる。私はたぶんそんな彼らが大好きなのだけど、彼らはかぐやの命?で自分達の女神メディアに背いてロココに味方する。
彼らのことだからやっぱり自分達の意志なのだろう、と思いつつ、その後彼らはどうしたのだろう、と思わずにいられない。メディアに罰は下されなかったのだろうか。天地球に亡命したんだろうか、などと思うけれども、彼らの自由さと強かさは間違いなく曼聖羅の在り方が育んだもので…
できることなら多少の罰は受けつつでも誇り高く(彼ら自身はそんなことに頓着などしないだろうけど)やっぱり自由に曼聖羅の地で生きて欲しい。メディアの温情を願いつつ、彼らの現在とその先に幸いあれと思う。
彼らを彼らたらしめてくれた反後さんとグリーンハウスの表現力に感謝。
追記:わりと最近気づいた。曼聖羅お守り達は次界天使勢力に亡命したんですね。22弾ハスラン裏につゆたまがいる。気付いてしかるべきだったけど、ちゃっかり次代のルーツになっているあたり、やっぱり強かだなぁ…と思わず笑顔になってしまいました。きっと守理力も強いんだろうなあ。
(X記事再録)
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